創業は、奄美群島の日本復帰に先立つ1951年(昭和26年)。
蔵は、かつてオランダの館があった事から蘭館山と名付けられた山の麓、江戸末期に英国人技師を招いて建設した 白糖製造工場跡地にあります。富田酒造場は、焼酎蔵の中でも極めて生産量の少ない蔵元で、 蔵の外観も焼酎工房といった雰囲気の佇まいです。
日本の焼酎は約500年前にシャム(現在のタイ)から沖縄に渡来したのが始まりとされています。 沖縄で泡盛として親しまれ、その後奄美、九州を経て全国に広がっていきました。 奄美の人々は、沖縄から伝えられた焼酎に、奄美の主要農産物であった黒糖を使い、製法、技術に多くの改良や工夫を加えて、 現在の黒糖焼酎を生み出しました。その実績が評価され、昭和28年、奄美群島がアメリカから返還された際に、 黒糖を原料にしての酒類製造は酒税法で奄美群島(奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島)だけに認められる こととなり、奄美の特産品として広く知られるようになりました。