「雄町」の歴史は江戸末期、1859年にまで遡ります。
備前の国(岡山県)の農家であった岸本 甚造氏が珍しい二本の穂を見つけ、 栽培したものが始まりとされて います。
150年以上も前に発見された雄町は日本最古の原生種として「山田錦」や「五百万石」を始め、様々な酒米にその血統 が引き継がれています。
〜じゃじゃ馬雄町〜
雄町は山田錦や五百万石などの酒米と比べ、穂の背が高いために倒れやすく、病害虫にも弱いので、岡山県以外では殆ど栽培されていません。
また米自体が柔らかく、溶けやすいために非常に扱いが難しく、杜氏泣かせの酒米としても知られています。
しかし、味への追求を求め続ける酒造家、雄町の愛飲家など人々を惹きつけてやまない魅力がそこにあることもまた事実です。
〜「雄町」が“幻の酒米”と呼ばれた時代〜
「雄町」は、酒造好適米としての優れた特性から全国の蔵元から人気を集め、昭和初期には「鑑評会で賞を取るなら雄町」とまで言われたほどでした。
しかし、前述したような栽培の難しさから、戦中・戦後にかけて生産量が激減。一時はほぼ生産が途絶え、“幻の酒米”と呼ばれるような状況でした。
そうしたなか、発祥地である岡山県の蔵元を中心に「雄町」の栽培を拡大する動きが活発になり、再び日本酒界の中心で脚光を浴びるようになりました。
〜雄町の味わい〜
「雄町」の味わいは、
・丸みのあるふくよかさ
・幅の厚い複雑な味わい
・長い余韻
・長熟にも耐えうる旨み
・料理との相性の良さ
・原生種らしい、野性味
に満ちた味わいなど雄町でなければ出すことの出来ない特徴が数多くあります。
また、ファンの多い酒米で、「オマチスト」と呼ばれる雄町愛好家も存在し、人々を魅了しています。
〜岡山と雄町〜
岡山県は「晴れの国」と呼ばれるほどの日照量。
瀬戸内海沿岸特有の温暖な気候、三大河川がもたらす肥沃な大地という米造りにはこれ以上ないほどの好条件が揃っています。
栽培の難しいとされる雄町ですが、岡山県はまさにそんな雄町造りにはうってつけの場所というわけです。